昭和30年代のある日。「市場に出なかったブロイラーを、お兄さんのお店で利用できませんか?」と、中華料理店「来々軒」を営む先代の福田昌生は、農協に勤める義弟から相談を受けました。
その頃、旧駅川町農協(現・JA大分宇佐)はブロイラー事業を始めていましたが、市場に出なかったブロイラーの販路は確立されていませんでした。
相談を受けた先代は、ブロイラーを購入し、「来々軒」の昼定食に「鶏からあげ定食」を追加。すると、食料事情が今ほど良く無かった当時の人々は「安く肉が食べられる」と大喜び!
鶏からあげ定食を食べようと、店の前には行列が出来るほど人気だったそうです。
そんな先代に、「からあげの揚げ方を教えてほしい」と頼む人がいました。「来々軒」の向かいで居酒屋を営む「庄助」です。
庄助は、元々、鶏の買い付け事業を営んでいました。けれどブロイラーの登場に伴い廃業。人気の「鶏からあげ」を中心とする居酒屋を開いたのですが、うまく肉を揚げることができません。
教えを乞われた先代は、「うちは昼中心、おたくは夜中心の営業だ。お向かい同士だし、教えましょう!」と庄助店主の頼みを快諾。こうして「来々軒」の技が「庄助」に伝わります。
けれど庄助には、まだ問題がありました。当時居酒屋に通っていたお客は、ほとんどが農家の方。「支払いは、米が出来たとき!」という付け払いが基本で、店の経営は楽ではありませんでした。
そこで庄助は、居酒屋を辞め、鶏からあげのテイクアウトの店を始めます。付け払いで酒を飲む旦那ではなく、現金払いでからあげを持ち帰る主婦にターゲットを切り替えたのです。
この「庄助」が、大分県北部地域で最初にからあげ専門店を始めたことから、宇佐市は「からあげ専門店の発祥の地」であると言われています。そして来々軒は大分からあげの原点として、今もなお美味しいからあげを揚げ続けています。
USA★宇佐からあげ合衆国H.Pより抜粋